- 分かれ道 / 別れ道
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今日で一番上の娘が16歳になります。
思春期真っ只中で、変化のはげしい社会や環境のなか、自我を確立させてゆく過程で様々な課題にぶつかっているようです。
自分の同じ年頃のことを思い返してみても、大なり小なり悩みを抱えてそれなりに乗り越えを経験してきたことを思い、なんとか頑張ってほしいなと思うものです。
親心ってやつですね。
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ときに、この若い頃の自分の持っていきどころ不透明な感じって、なんなんですかね。
ビジョンがはっきりあればよいのですが、だいたい手探りですよね。
なんとなくの方向や方角はあるにせよ、いっきに踏み込めるってひとはそんなに多くないんじゃないかなと。
それでも、やはり、ある時点で選択しなくちゃいけない場面が訪れて、自分はこう生きる、みたいなやつ、選び取って、歩んでいるうちに、道ができていて。
振り返ると、その自分の選んだ道の向こうに、わかれ道の端緒が覗いてるわけです。
振り返れば見える、見やることができる。
でも戻れない。
選択し直すことはできない。
でも、それが良いのか悪いのかはさておき、ほんとにそう?
その道は一方通行で、ほんとにそのままずっと進んでいかなくてはならない道なの?
もちろん、いくつかの道が合流して、太くて広い、大勢が通れる道になることもあるでしょう。
選んだ道が、他の誰かが選んだ道と重なって、より大きな道になっていくんなら、それは安心へとつながるのかもしれません。
それに、好き・嫌い、合う合わない、それぞれあるとは思うし、それぞれの幸せの見つけ方ってのがあるだろうし、それはその人なりの幸せなんだろうし、とやかく言うことではないんだけど、でも、そういった大きな道が、見えない壁や塀とかで遮られたり隔てられたりしているんだとしたら、なんだかもったいないなと。
だったら、そんなさまざまな道がつながる広場があればいいのに。
道の途中で、それこそ道草できるそんな場所があればいいのに。
そんな場所を作れるような仕事にわたしたちが携わることができたらいいな。
そんなことを感じた昼下がりでした。
不動産のこと、そうじゃないこと、
いろいろ綴ります
2020.10.04 Sun